聖書 あれこれ

これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、 柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。 キリスト・イエスのものとなった人たちは、肉を欲情や欲望もろとも十字架につけてしまったのです。                    ガラテヤ5章22-24節
19節以下に「肉の業」のリストがあります。「霊の結ぶ実」と反対のものがそこに記されています。
大事なのは私たちに与えられている十字架の意味です。
24節に私たちのことがそこに記されていて、そこには「肉を欲情や欲望もろとも十字架につけてしまった」とあります。
罪の結果として、罰があります。十字架です。各人に十字架の終わりがあります。
しかし、この受けるべき十字架を、神の私たちへの愛の故に、私たちの罪の一切をイエス・キリストが引き受けてくださった、ここに私たちの今があります。この先のどこを探しても、受け取るべき十字架はないということです。
罪の結果がないということは、肉の業が生み出すものがないということです。
私たちにあるものは、「霊の結ぶ実」が生み出していく可能性です。
何が生み出されていくのでしょう。喜び、平和、寛容・・・・。
これらは皆、イエス・キリストの私たちの間にあるものです。
イエス様と私たちの間に、喜びがあり、イエス様の寛容、親切があるのです。
そして、今度は、イエス様に派遣されて、遣わされたところで、その人との間で霊の結ぶ実を持つのです。
人との間に愛がある、柔和があり、節制がある。麗しき関係の始まりです。

ヒメシロコブゾウムシ。

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