聖書 あれこれ

信仰の弱い人を受け入れなさい。その考えを批判してはなりません。
ローマ書14章1節
弱さとは。
ここでは、2節以下、食べ物のことが記されています。
当時のローマの教会、肉食しない人、特定の日を重んじる人がいます。
また、その反対の人も居ることでしょう。
其々に、それぞれの立場をわかっていればよいのですが、両者が集まるところでは、3節にあるように「軽蔑」と「裁き」が行われたのでした。
2000年前のローマだけの姿ではないでしょう。
人を軽蔑し裁いて、孤高の道をゆくことが強さではないのです。
自分と違う考えを理解することが強さなのです。
パウロは、使徒と呼び、またあるところでは、キリストの僕と言いました。
私たちは、キリストの使徒であり、僕なのです。
私たちが誰かの僕ではなく、また自分が使徒と自認して、誰かを僕としてその意に従うべきことと思うこともおかしなことなのです。人は人を支配しないのです。
「だから、あなたがたは食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光を現すためにしなさい」(1コリント10章31節)。
キリストのように、受け入れ、理解することが神の栄光を表すための一歩です。

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