聖書 あれこれ

水の上(え)に落ちて、流れし種も、いずこの岸にか 生(お)いたつものを。
(讃美歌Ⅰ編536番)
米国の神学者、ラインホルト・ニーバーの祈りに「神よ、……変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ」というのがあります。
「早起きは三文の…」。
早起きは、変えることのできる一つでしょう。
変えることのできないもの。
その一つは、種の拡がって行く有様でしょうか。
動物に食べてもらったり毛にくっついて運んでもらったり。
あるいは、タンポポのように風に任せてというのもあります。
どこかへ運ばれる途中。その間は、不安があります。何しろ、行き先が分からないのですから。
でも、約束はあります。
アブラハムは、行き先もわからずに旅に出ますが(創世記12章)、ただ一つ、祝福の約束はありました。それが、アブラハムの旅を支えました。
ヨハネ福音書3章16節に「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」とあります。
種は行き先を知りませんが、しかし、岸を目指します。流れは押し流す流れではなく、行くべきところを目指す流れです。
何故なら、神様は私たちが滅びることなく咲き誇ることを願っているからです。
変えられない場合は、あと少し待つ。それで行くべきところが見えてきます。

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