聖書 あれこれ

さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。                         ルカ福音書10章36節
中島みゆきの「わかれうた」の冒頭の歌詞。
「道に倒れて誰かの名を呼び続けたことがありますか」。
ずっと、助ける側の立場の歌詞かと思っていました。助けを求めている方でした。勘違いです。
さて、道に倒れて「助けて」と声を絞り出して、どうなるでしょう。
通りすがりの大勢の人が、寄ってたかって担ぎあげて、まるで祭りの神輿のように病院に担ぎ込まれる、大勢の人が119番通報をして救急車が…そういうことにならないということを私たちはよく知っています。
人の行動は、不可思議ですが、ある法則に基づいています。
「わたし自身は心では神の律法に仕えていますが、肉では罪の法則に仕えているのです」(ローマ書7章25節)。
問題になるのは、倒れている人・通り過ぎる人が知りあいの場合です。親族、友人、などです。さぞや、後で困ったことになるでしょう、通り過ぎる人は。まさに「罪の法則」に沿った行動です。
法則の中では、皆が同じ動きをします。林檎を投げれば、落ちてくるのと同じです。たまには法則を無視して浮いたまま、と言うことはありません。法則とはそういうものです。
法則通り、私たちは落下します。落ちていくのです、あの人もこの人も、皆一緒です。
しかし、恵みの法則が、罪の法則を無効とします。ローマ書8章2節に「キリスト・イエスによって命をもたらす霊の法則が、罪と死との法則からあなたを解放したからです」とあります。罪の法則の先に、恵みと憐みの法則が待っています。

広告
カテゴリー: 聖書 あれこれ パーマリンク

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中