聖書 あれこれ

キリストは律法の目標であります、信じる者すべてに義をもたらすために。
ローマの信徒への手紙10章4節
こうして律法は、わたしたちをキリストのもとへ導く養育係となったのです。わたしたちが信仰によって義とされるためです。  ガラテヤの信徒への手紙 3章24節
律法の意味。
律法はキリストへ導く。
律法の働きは、私たちをキリストへと導くということのようです。
さて、私たちの前にある道は、道なき道です。
時には、誰かの進む道と交差するかもしれません。
道であれば、「止まれ」の標識がありますが、道なき道にそれはありません。
時には、誰かの敷地や居住するところを我が行く道の最短コースとして横切らなければならないかもしれません。さて、どうしましょうか。
遥かな目標を思うと、最短コースを選択したくなります。
そうすると、目の前の人の敷地は、土足で入ることになります。「大事の前の小事」となります。
私の周りの人の存在が、邪魔に見えて「小事化」してしまいます。それはあってはならないことです。
プロテスタントは、真理のために分裂していきました。それ自身は致し方のないことですが、最大の欠点は、相手を「小事化」したことにあります。「真理は我にあり」です。
宗教や民族から始まって、趣味嗜好の世界に至るまで、同じ志向にない者に対する「小事化」の怖さを感じることがあります。仲間でない者に対する扱いは、いつも辛辣なところがあります。しかし、侵略的であってはなりません。
私たちには、律法があります。それが私の良心を補強します。
「律法全体は、『隣人を自分のように愛しなさい」という一句によって全うされるからです』」(ガラテヤ5章14節)とあります。
様々な活動の中で、常に隣人を念頭におくこと、「大事化」を求めているのです。

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