聖書 あれこれ

わたしの魂は沈黙して、ただ神に向かう。神にわたしの救いはある。
神こそ、わたしの岩、わたしの救い、砦の塔。わたしは決して動揺しない。
詩62編2-3節
喧騒。
人は聞いて行動します。
詩62編4節に「お前たちはいつまで人に襲いかかるのか」とあります。
何を聞いて、だれの指示で、どんな理由で、人を襲うのでしょう。
そんなつもりはないというのでしょうか。
自分の欲求が、自分のなかの仕方なさがいけないのでしょうか。
5節には「人が身を起こせば、押し倒そうと謀る」ともあります。
何故、何の理由でそのようなことをするのでしょうか。
小さな家の中には、人ひとりが立つスペースしかないのでしょうか。
それとも、立つ事を許せない事情があるのでしょうか。
沈黙せよ、と静かに語ることがあります。
立ち止まって、つまりは押し倒す手と足の動きを止めて、聞け、と聖書は語ります。
そして、耳を傾け、命じられている所に立て、というのです。
「神に向かう」こと、力を振り絞って、沈黙することなのです。
静かに、「御前に心を注ぎ出せ」と語ります。
そこで、自分を見て、人を見て、途方に暮れない道が見出されます。
「途方に暮れても失望せず」(2コリント4章8節)の道が見出されるでしょう。
そここそが「神こそ、わたしの岩、わたしの救い、砦の塔」なのです。

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