あなたの御言葉が見いだされたとき、わたしはそれをむさぼり食べました。あなたの御言葉は、わたしのものとなり、わたしの心は喜び躍りました。万軍の神、主よ。わたしはあなたの御名をもって、呼ばれている者です。 エレミヤ書15章16節
むさぼり食う。
あまり格好の良い姿ではありません。
それ程の空腹、渇きを経験しないからです。
しかし、もし、そのような状況となった時には、誰もが貪るかのようになるのです。
人間と動物の違いは、言葉にあります。
どんな言葉を持っているのでしょう。人を生かす言葉、それとも…
語る前に、人は言葉を持たなければなりません。
預言者エレミヤは、主なる神の言葉を受けた時、むさぼり食べたのです。
人は、どういう言葉を持つかによって、おのずとその道が定まってきます。
イエス様は、私たちに、語りかけました。記憶せよです。「この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう」(マタイ26章6-13節を参照)。またマタイ26章26節以下には、主の聖餐に関して、「一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながら言われた。『取って食べなさい。これはわたしの体である』。また、杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに渡して言われた。「皆、この杯から飲みなさい。これは、罪が赦されるように…』」。
イエス様の言葉をむさぼるかの如くに大事にすると、おのずと道が見出されるということです。
私たちに与えられている言葉、イエス様の言葉を噛みしめ味わい、歩んでいきましょう。
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