聖書 あれこれ

聖書辞典によりますと、それぞれの著述年代は、使徒言行録90年頃、第1コリント55年頃、ガラテヤ書50年頃とあります。
 当時の教会の事柄について、第1コリント5章1節に「あなたがたの間にみだらな行いがあり、しかもそれは、異邦人の間にもないほどのみだらな行いで……」、ガラテヤ1章6節「あなたがたがこんなにも早く離れて、ほかの福音に乗り換えようとしていることに、わたしはあきれ果てています」とありますが、使徒4章33節には「使徒たちは、大いなる力をもって主イエスの復活を証しし、皆、人々から非常に好意を持たれていた」とあります。
 使徒言行録が書かれた90年頃、著者のもとには、各教会の問題が、かなり聞こえてきたことでしょう。この頃の教会は、「好意を持たれ」ていたのでしょうか。
 確かなことはわかりませんが、それぞれの各地のそれぞれの年代の教会は、イエス様の弟子たちの如くに、いろいろと繰り返しながら、例えばペトロの如くに、自分を過信して、たしなめられるような経験をし、赦しを経験し、やがて好意を持たれる教会へと導かれていったのです。
 私たちは「このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか、信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら」(ヘブライ12章1-2節)。
見つめるべきお方を、弱いときにこそ見つめて、歩む、そこに道が開かれるのです。

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