聖書 あれこれ

弟の方が父親に、『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』と言った。それで、父親は財産を二人に分けてやった。何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄遣いしてしまった。              ルカ福音書15章12-13節
人の行動は、知恵によります。
放蕩息子。
兄も弟も財産を分けてもらい、弟は「何日もたたないうちに、下の息子は全部
を金に換えて、遠い国に旅立」つ決断をしました。何か目論見があったのでしょう。
もっと増やす算段があったのでしょうか。人からの旨い投資話など……
遠い国へ旅立ったとありますから、相当の知の積み重ねがあったことでしょう。
しかし、頭の中では薔薇色の未来を迎えたことですが、現実は破たんの一途、坂を転がり落ちるばかりです。
17節に「そこで、彼は我に返って」とあります。
そことはどこか。
16節に「彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった」とあります。
誰が弟を我に返らせたのでしょうか。
発明家はひらめきをつかむのだそうです。本当かどうか、わかりません。
しかし、聖書には、知の獲得について、ひとつの道があるということを示しています。
恩寵の知恵です。
この知恵は、恵みであり、憐れみであり、そして、私たちの死の向こうを指し示し、つまびらかにします。
だから、望みが、年ごとに、尽きぬようにあふれてくるのではないでしょうか。
「兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走る」(フィリピ3章13-14節)こと、ここに希望の根拠があります。

ベンチ、長椅子。
長椅子だからといっても、寝そべるのは拒否する長椅子が増えてきました。
工夫すればできないことはありませんが…のんびりできません。
二人でかけるには、真ん中の手すりが気になるし、片側で二人!
でもそれではお邪魔虫が座るかも。

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