聖書 あれこれ

「わたしは、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意を整えて、神のもとを離れ、天から下って来るのを見た」 ヨハネ黙示録21章2節

終わりの日について語っています。
エルサレムから遥かに離れた私たちには、この町について特に何の思いもありません。しかし、当時のキリスト者、特に離れた人々にとっては、深い慕わしさがあるのです。
ですから、終わりの日の御国の到来について、黙示録は、エルサレムが「神のもとを離れ」、「天から下って来る」と語るのです。
聞いた人々は、わくわくするような思いで、いろんな喜びの連想が湧き起こるような、うれしい気持ちとなることでしょう。
キング牧師は、「わたしには夢がある」と語りました。あの演説が人々の心に浸透し、力となっていったように、黙示録の言葉も大きな力となっていったことでしょう。
エルサレムは、着飾っています。どんなふうに。11節に「都の輝きは、高価な宝石のようであり、透明な壁玉のようであった」とあって、以下、宝石の名がずらりと並んでいます。
もっと質素でいいと、つい思ってしまいますが、もうひとつ、違いがあります。
「都の中に神殿を見なかった」とあるのです。
続けて、「太陽も月も、必要でない」とあります。照らすものがないと迷いますが、ここでは主の栄光がすべてを照らし、私たちはその栄光の光があるので、心配ないというのです。
ヨハネ黙示録21章3-4節に「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである」とあります。
人と共にある主、片時も離れない、ここに来たるべき世の麗しさがあるのです。

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