聖書 あれこれ

七十二人は喜んで帰って来て、こう言った。「主よ、お名前を使うと、悪霊さえもわたしたちに屈服します。」              ルカ福音書10章17節
三日坊主。
72人の弟子たちが遣わされ、帰ってきました。詳しいことは書かれていませんが、皆大喜びです。
10章1節以下で派遣されるのですが、十分に心配しないようにイエス様に言葉を与えられて各々出かけて行ったのでした。
福音書の弟子たち、やがてはイエス様の十字架の直前で、逃げてしまいます。それを考えると、「結局……」という評価が成り立ちます。
何かをやることとして、三日は頑張ったけれどもという場合、マイナスとプラスの評価ができます。「三日しか」、あるいは「三日も」という具合です。
やがて弟子たちは、等しく身の折れるような経験をすることになります。
その時、いろいろなことを考えるでしょう。考えながら、沈みそうにある自分を受け止めているのは誰だろう、支えているのは誰だろう。
「しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」(ルカ22章32節)。
一人と思う時に、しかし、イエス様と繋がっているということ、それが力となります。
「三日しか」は評価としては厳しいものですが、それを自ら認めつつ、笑いつつ人に語れるようになりますと、それはイエス様との関係の強さを表すこととなるでしょう。
パウロは、少し堅苦しく「熱心さの点では教会の迫害者、律法の義については非のうちどころのない者でした。そればかりか、わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています」(フィリピ3章6-8節)と言いました。
自分は、イエス様にありのままの形で受け止められている、そのことをパウロは語っているのだと思います。

ヤブキリ。キリギリスの仲間。意外と荒い性格って、…余計なお世話。

アカサシガメ。カメムシの仲間。ホシベニカミキリ。ちょっと嫌われ…これも余計なお世話。

 

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