聖書 あれこれ

疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。
                                                                                                            マタイ福音書11章28節
休息。
様々な事情で疲れを覚えたり、重荷を背負わされます。
時にそのことによって、途方に暮れます。本人も家族もです。
その時、イエス様は、それをもって私のところへと来るようにと語りました。
「休ませてあげよう」です。
休みは、よく言われるのは、「仕事を忘れて」「日常から離れて」です。
しかし、ここでの休息は、イエス様を目指して、イエス様の中にということです。
休息は、私たちに何を与えるのでしょう。
イエス様のもとで、一つの発見をすることでしょう。
「わたしたちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持って」(ローマ12章6節)いることです。
いわば、その人の固有の賜物です。
顔が一人一人違うように、賜物も異なっていて、一人一人に与えられているのです。 そこから、それぞれに、その賜物に生かされて歩むことになります。
「らしく」歩むことの始まりです。
賜物は装いに似ているかもしれません。
マタイ福音書6章30節に「野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まし
て、あなたがたにはなおさらのことではないか」とあります。
野の草を見て慰められることがあります。
思い悩むなを教えられるからです。
少し休んでみませんか。
きっと、多くのことを私たちはそこで知ることができるでしょう。
イエス様は、不安を覚える時、疲れを覚える時、私のもとに来ることを勧めてくだ
さいました。その教えを大事なこととして受け止めてみるところから、休息が始まります。

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