聖書 あれこれ

イースターおめでとうございます。
教会周辺の桜の花は散りました。
花で装うことは、華やかで周りを賑やにします。
桜は、今、緑の葉で装いはじめました。
それはそれで、美しく、新緑は人を和ませます。
「次」がある、それでいろいろなことを受け止められるような感じがするのです。
十字架の後、次は、復活です。
パウロは、最初はキリスト教への迫害者でありました。
迫害者であることの次は、キリスト教の伝道者でした。誰もが驚く、次でした。
もっとも、漁師の次が伝道者であったり、徴税人の次が伝道者であったりすることを考えますと、それほど驚くべきことでないのかもしれません。
4月15日未明、この日はタイタニックが沈んだ日、99年前のことです。
沈まんとする時、流れていたのは「主よみもとに近づかん」であったと言われています。音楽家たちが演奏したと伝えられています。
ローマ書6章4節に「わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです」とあります。
私たちの次は、イエス様が間にあって、新しい命で生きることが待っています。
新し命によって装われる、それは私たちに楽しい思いに至らせる神の力ではないでしょうか。

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