聖書あれこれ

あなたたちは、自分の語る言葉によって、主を疲れさせている。
それなのに、あなたたちは言う。どのように疲れさせたのですか、と。
マラキ書2章17節
主なる神は疲れるのか?
落語の登場する御隠居さんは、年中、与太郎との問答で疲れ果てています。それでも、いつでも、与太郎の質問に応えてくれます。
どいつもこいつもと唇を尖らせている人がいます。何をそう怒っているのでしょう。そう言う御隠居さんでは、与太郎も寄り付きません。
さて、私たちは、与太郎でしょうか。それとも唇を尖らせている人でしょうか。
聖書は、続けて、疲れる理由として、「裁きの神は、どこにおられるのか、などと言うこと」によってと語り、世界は自分を中心に回っている者に疲れるのだと語っています。あたかも自分の価値判断で神を動かそうとしているのです。
しかし、そうだとしても、神は疲れてくださる、つまりは、自分を良いものとみなしている者と、主なる神は、疲れるけれども、付き合うのです。
主なる神は、私たちと付き合ってくださいます。徹底的にです。
主なる神は、積極的に、私たちのことで、疲れ果てるのです。
主の疲れによって、私たちは救われている、そういうこともいえるのです。

礼拝前に、10時27分に緊急地震速報、ゆらゆら揺れながら前奏を聞きました。
大きな地震と津波で被害の報告が各地から届いてきました。

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