聖書 あれこれ

主がシオンの捕われ人を連れ帰られると聞いて
わたしたちは夢を見ている人のようになった。 詩126編 1節
「夢を見ている人」。
何やら集中力がない、あまり良い印象を受けません。
しかし、聖書では、上記のように、良い意味、希望に満ちた状態を指し示している感じです。
創世記37章から始まるヨセフ物語において、夢はキーワードです。
夢を通して語られる神の導き、それを解き明かす人、それがヨセフでした。ヨセフは、夢の解き明かしを通して成長していきました。
夢を想う時、それは神の導きを尋ね求める至福の時であります。
願う夢は、「捕われ人を連れ帰られる」場面の中に自分がいるという夢でしょう。
いつの日にか、そういう夢を。
ヨハネ福音書聖書14章6節に「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない」とあります。
聖書を開くと、私たちの夢と思う言葉にいくつも出会うことができます。
聖書を開き、そこにある言葉は私たちに夢を見させてくれる言葉であり、真理の言葉であると信じます。

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