聖書 あれこれ

一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながら言われた。「取って食べなさい。これはわたしの体である。」また、杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに渡して言われた。「皆、この杯から飲みなさい。これは、罪が赦されるように、多くの人のために流される私の血、契約の血である。                                          マタイ26章26-28節
これに加えて、1コリント11章の言葉があって、聖餐を教会では守っています。
聖餐の制定の言葉です。
パンは、キリストの体、これが私たちの近くにあります。イエス様はすべての人のために、繋がるために、結び付きがある、イエス様が私たちを守り、導いてくださるという感覚を与えてくださいました。
私たちを決して一人としない、それをパンを味わう時に感じることができます。
ぶどう酒は、イエス様の血です。
これを飲む毎に、私たちはイエス様の流された血、これによって私たちの罪が赦されている、これを味わう時、罪の赦しを感じることができます。
私たちは、何かを成し遂げた時、満足感を覚えることができます。
聖餐において味わうことのできる満足感、喜びは、与えられる喜びです。
地上の聖餐は、天国の宴の先取りです。
全ては獲得するのでなく、与えられるという確信、これが聖餐を味わう時に私たちが味わうものです。
人生には、いくつかの、あるいはたくさんの確信が必要です。
聖餐の確信は、その中でどういう位置を占めるのでしょう。思いめぐらしてみませんか。

広告
カテゴリー: 聖書 あれこれ パーマリンク

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中