聖書 あれこれ

こういうわけで、わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか、信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。このイエスは、御自身の前にある喜びを捨て、恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、神の玉座の右にお座りになったのです。
                     ヘブライ12章1-2節
馳せ場。
文語訳聖書では、「自分に定められている競走」の「競走」を「馳せ場」と訳していました。
競走というと、競い合ってということであまりよいイメージではありませんが、自分に定められた走るべき行程で、証の場所でもあるということで、その走る姿は見る者に感動を与えるということで、悪い意味ではありません。
走りつつ顔を上げますと、信仰の創始者のまなざしを感じることができます。文語訳では、「導き手」ということです。
私たちの走るべき行程の周りには、「おびただしい証人」がいて、行程の前と後ろには、イエス様がいます。ちょうど、出エジプトの民の前後を主なる神が守られたようにです。
今年もあと357日(1月9日(日)から起算で当日を含む)です。
どんな証となるのか、どのように導かれるのか、何よりもどんな競走となるのか、期待をもって待ちたいと思います。
馳せ参ずるとは、大急ぎで指定された場所に行くということです。行くだけでなく、そこでなすべきことが待っているということです。
それは、まことに楽しみなことではないでしょうか。

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