聖書 あれこれ、れ

この方こそ、わたしたちの罪、いや、わたしたちの罪ばかりでなく、
全世界の罪を 償ういけにえです。      1ヨハネ手紙2章2節
私たち。
この言葉を聞くと、横に並んでいる、背後にいる人を代表するような気になります。
では、私の前にいる人は?
私、あるいは私たちにとって、向かいにいる人、パートナーであるような、理解できるようで、理解できないかもしれないと思う人、それが「あなた」あるいは「あなたたち」ということでしょう。
数でいえば、私たちよりも数は多そうです。
実は、私たちと思って横を見ても、後ろを振り返っても、数が思いの外いない場合もあるのではないでしょうか。時代という流れの中で、なんとなく潮流から押し出されそうな感じがする時があります。
どうなんだろうかと考えると、聖書はイエス様のことを「全世界の罪を償う」方であると語っています。
聖書は、1ヨハネ手紙2章2節を通して、愛と救いを語っていますが、聖書から見ると、皆、「あなた方」となります。
「私」も「あなた」も、皆が「あなた方」となるのです。
「私」と「あなた」の間には、埋めがたい、越えがたいものがありますが、遠くからの「あなた方」と呼ぶ声に支えられて向かい合っているのでしょう。
創世記に登場するカインとアベル、エサウとヤコブは兄弟として向かい合っていました。間に罪がありますが、この罪をイエス様が償うのです。カインとアベル、エサウとヤコブのことを考えながら、私とあなたの間にあることを考えながら、イエス様の愛に購われている喜びを覚えることといたしましょう。

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