聖書 あれこれ

 わたしの胸が思い煩いに占められたとき
 あなたの慰めが
 わたしの魂の楽しみとなりました。        詩94編19節
 
 映画監督の伊丹万作(1900-1946)、映画監督、俳優の伊丹十三(1933-1997)の父ですが、
 万作の言葉として「人間を慰めることこそは映画の果たし得る最も光栄ある役割であらねばならぬ」というのがあります。
 伊丹十三の義理の弟の大江健三郎が、十三が父の言葉として語ったということをある雑誌のエッセイで紹介していました。
 この言葉、「映画」の部分をいろいろと差し替えても通用する言葉です。
 その人の仕事、あるいは存在そのものと言っていいかもしれません。
 私たちの存在や仕事、担っている役割は、人に対して慰めることにあるのです。
 ダムは、水を供給するための施設ですが、給水が貯水量を上回りますと、大変です。
 枯渇。困った事態です。
 ダムは、水を貯めて供給するという極めて単純な働きを担いますが、ダムは水を思いのままに貯めることができません。
 「主は天を雲で覆い、大地のために雨を備え、山々に草を芽生えさせられる」(詩147編8節)とあります。
 それぞれの役割に担い生きながら、供給もしますけれども、同時に貯水もしていて、自分も慰められているということを
 知ることができたら楽しいことでしょう。
  
 
 
 
 
 
 
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