聖書 あれこれ

 

疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。
休ませてあげよう。               マタイ福音書1128
体力検査や各種の検査は、その人の年齢などから標準的な好ましい数値というのがあるようです。
走るスピード、ボールを投げる飛距離、さてどのくらいが標準で、それに達しないというのは、
これも一つの重荷ということでしょうか。
もしかしたら、あらゆる検査を受けますと、たくさんの標準に満たない重荷が出てくるかもしれません。
また、もしかしたら、アンケートなるものも、一つの標準を計る物差しなのでしょうか。
その人の、結論に至るまでの時間が長い短い、考える力があるようなないような、読みが甘い浅い、
これも背負っている重荷の一つでしょうか。
数えたらぞっとするほどのものを背負っているかもしれません。
自分のことだけでも大変なので、隣人の分まで持つことができません。
人が背負う重荷は、千差万別、いろいろです。
イエス様はそういう重荷を負う私たちを招いています。
どこかの誰かのところでは、休まるどころか苛立つこともあります。
イエス様だけ、ここが最後の最後で、そこが私の砦となります。
この砦は、誰も入ってきません。
ここは「主はわたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い
魂を生き返らせてくださる」(詩232-3節)ところです。
 
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