聖書 あれこれ

 長老は、非難される点がなく、一人の妻の夫であり、その子供たちも信者であって、
 放蕩を責められたり、不従順であったりしてはなりません。
 監督は神から任命された管理者であるので、非難される点があってはならないのです。
 わがままでなく、すぐに怒らず、酒におぼれず、乱暴でなく、恥ずべき利益をむさぼらず、
 かえって、客を親切にもてなし、善を愛し、分別があり、正しく、清く、自分を制し、
 教えに適う信頼すべき言葉をしっかり守る人でなければなりません。
 そうでないと、健全な教えに従って勧めたり、反対者の主張を論破したりすることもできないでしょう。
                                    テトスへの手紙1章6-9節
 長老、監督、最初の頃の教会の姿が語られています。
 具体的にどういう役割を担ったのか、それははっきりとはわかりません。
 年度制の教会は年度末、新年度に向けての準備が進められていることでしょう。
 役員職の任期などで、新任再任の話もある頃でしょう。
 また、牧師の辞任、新しく迎えるということもあることでしょう。
 清く、正しく、慎ましく、いつの時代もそういう人物が望まれることですが、
 初代の教会がそういうことで厳格に運営されていたという実証はなされていません。
 つまるところ、現代と同じです。
 教会を一つの人格に見立てて、キリストに対するひた向きさの大切さを説いています。
 あらしの中をゆかねばならない時、傘をしっかりと握るか、コートのボタンをしっかりととめて、
 覚悟を決めていくしかないのです。
 舟は、聖書によく登場します。
 あらしの中をゆくとしても、教会を舟に見立てて、一緒に最後まで、ひた向きに。
 私たちは、一緒に、しっかりと握るべきものを握って行くのです。

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