聖書 あれこれ

イエスがオリーブ山で座っておられると、弟子たちがやって来て、ひそかに言った。
「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。
また、あなたが来られて世の終わるときには、
どんな徴があるのですか」。マタイ福音書243
 
 終わりが近づいています。
 弟子たちはそう感じているのです。
 もっとも、ここに至るまで、イエス様自身も死と復活を語っていますし、
 不穏な空気が満ちていますから、終わりを感じない方がどうかと思いますけど。
 いろんな終わりがあります。
 始まりがあれば、終わりがあるのです。
 終わりですから、徴があろうとなかろうと、関係のないように思えますが、
 あえて徴を問うているのですから、弟子たちは「終わり」を単純に終わりとは考えていないようです。
 この終わりは、何かあると考えたのでしょう。
 私たちは、終わりを自由に出来ません。突然やってきます。
 心配しても予想して何かの手を打つこともできません。
 終わりは受け入れるしかありません。
 しかし、この終わりは、私たちが普段経験する終わりに特別の意味があるように、
 それは次への始まりであるように、この終わりは、
 イエス様の私たちを「救う・購う」が加わって特別の意味をもって私たちを覆います。
 終わりは、完成を意味しますが、私たちの何かを積み上げての完成ではなく、
 イエス様による完成であるということを考えることとしましょう。
 続く4節に「イエスはお答えになった。
 『人に惑わされないように気をつけなさい』」とあることを覚えましょう。
 人に惑わされずに、イエス様の言葉を唯一の頼りとしましょう。
 120年前、ゴジラの再度上陸に備えて東京湾各地に備えられた大砲。
 約7800メートルも届くそうです。
 黒船対策です、ハイ。
 
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