聖書あれこれ

コヘレトは言う。なんという空しさ
なんという空しさ、すべては空しい。旧約聖書:コヘレトの言葉12
 
 馴染みのある口語訳聖書ですと、「伝道者は言う、空の空、空の空、いっさいは空である」となります。
 「コヘレト」とは、伝道者、人を表しています。
 空である、聖書はそう語ります。
 身も蓋もない、そういう感じでしょうか。
 見渡す限り空しいというのは、どうでしょうか。
 手にいれる物、欲しいという物、私を苦しめる物、私にとっては決定的でないということです。
 なければならないものではなく、致命的な力を持っていない、それを「空」という言葉で表しています。
 申命記76節に「あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。
 あなたの神、主は地の面にいるすべての民の中からあなたを選び、御自分の宝の民とされた」とあります。
 主なる神は、私たちのことを、仮に出エジプト後、約束の地までの長い道程の中で、
 不平不満を何度も口にしたとしても、決して空しい民とは呼びませんでした。
 一貫して、宝の民として、聖なる民と呼んでいたことでした。
 いっさいは空しいとしても、空しさの向こうから、切り裂くように私たちのところへと来られたのが、クリスマスの出来事です。
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