聖書 あれこれ

  あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。
                                         新約:コロサイの信徒への手紙3章12節
 新約聖書の書簡を読んでいますと、上記の言葉似た言葉に出会います。
 よほど、手紙で指摘しなければならない、そう思ったのでしょうか。
 続く13節では「互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい」とあります。
 当時の教会の中では、赦し合うことが少なかったということでしょうか。
 当時は、忍び合い、赦し合いという状況になく、今はそうではない、とは言えないところが苦しいところです。
 この言葉は、今でも、勧めの言葉として有効です。
 教会の中で、相手を責め倒すということがあるのかどうか、そういう人がいたのでしょうね。
 当時の小さな家の教会の中に。
 小さいだけに、大変だったことでしょう。
 もう少し、違う人が集まればよいのに、そう思うことがあります。
 しかし、教会の中は、そういう人が集まっているのです。
 その人たちはどんな人か。赦せない、忍び合うことのできない人なのでしょうか。
 そうなのかどうかはわかりませんが、パウロはその人たちを「神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されている」と呼んでいます。
 「憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着け」るのに、さほど苦労する人たちではないということでしょう。
 本当!
 そう言いたいところですが、そういう信頼で互いに結び付いている、その感覚を、パウロは離れた処、獄中から感じているのです。 
   
 
 
 
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