聖書 あれこれ

 わたしが、あなたがたとラオディキアにいる人々のために、また、わたしとまだ直接顔を合わせたことのないすべての人のために、
 どれほど労苦して闘っているか、分かってほしい。それは、この人々が心を励まされ、愛によって結び合わされ、理解力を豊かに与えられ、
 神の秘められた計画であるキリストを悟るようになるためです。コロサイの信徒への手紙2章1-2節
 
 パウロは、福音伝道のために、各地に教会が出来つつある中で、労苦し闘っています。
 その闘いは、教会を建て上げるということですが、同時にその教会に属する人たちの心を励ますためなのだという思いがあります。
 またパウロ自身もかの地で労している人たちのことを思うと、心が励まされたということでもあります。
 相手に対して思いを伝えるとき、「がんばって」「しっかり」「まけないで」という言葉で伝えることがあります。
 それはうれしいものです。
 その段階がもう少し進みますと、言葉が便りとして来なくても、ただ闘っているという事実が、励ましになるということもあるのです。
 そういう関係の中に自分を見出せるでしょうか。
 難しい、でしょうか。
 イエス・キリストは、私たちの罪を購い、まさに十字架の上で闘ったのです。
 そして、確かに勝利を得たのです。それは、私たちの勝利ともなりました。 
 それが「神の秘められた計画」にほかなりません。
 秘められた計画の中には、私たちを結びつけるものがあり、理解力を高める力があります。
 それが、一人一人に注がれている、確かなことはそのことなのです。
 ところで、この時代も現代の日本も、十字架と復活を人々が中々受け止めてくれないというのは同じでしょう。
 パウロの人々への並々ならぬ労苦は、なんとかして十字架の福音を伝えたいために、労苦をもって証しているのではないでしょうか。 
 言葉で語るよりも、奉仕で、ということです。
 
  
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