聖書 あれれ

 何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、
 めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。        新約 フィリピ2章3-4節
 パウロの周辺にいた人物の一人、エパフロディト。
 彼は、パウロのもとに赴き、支援の物を届けることと、獄中にあるとされるパウロの日々の援助を頼まれていたようです。
 ところが、26節で「自分の病気があなたがたに知られたことを心苦しく思っているからです」とあって、病気になってしまいました。
 役割を果たすことができないのか、塞ぐ一方です。
 パウロは彼を送り返すこととしますが、「わたしに奉仕することであなたがたのできない分を果たそうと、
 彼はキリストの業に命をかけ、死ぬほどの目に遭ったのです」という言葉で評しています。
 彼の病は、彼の弱さ故の事でなく、「キリストの業」遂行の故というのです。
 過大な評価でしょうか。
 それとも、弁護しているのでしょうか。
 彼が戻って十分なパウロへの奉仕の仕事ができなかったための、非難中傷されないためのものでしょうか。
 「他人のことにも注意を払いなさい」という言葉を実践しているのでしょうか。
 確かなことはわかりませんが、人間的な気配りをしているのではないでしょう。
 イエス様は自分を用いたように、パウロはキリスト教の迫害者でした、いろいろな人を呼び出し、用いるということを知っているのです。
 だから、人を自分とは関係ない者と、侮ってはならないのです。
 侮ることによって、人は、キリストの出来事を見逃すかもしれません。
 それは、もったいない、そう、思いませんか。 
 
 月下美人。一夜しか咲かないのだそうです。
 
 
 
 
 
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