聖書 あれれ

 神は人を創造された日、神に似せてこれを造られ、男と女に創造された。創造の日に、彼らを祝福されて、人と名付けられた。
                                                                    創世記5章1-2節
 聖書を順番に読んでいくと、人は、祝福され、しかし、罪の自覚を促されます。
 その罪の自覚が十分ではないということを知らされながらも、新約に移りますと、イエス・キリストが登場します。
 イエス様の贖いという御業によって、救いの確かさを得ることが出来、読み終わります。
 多少どころか、結構飛ばして読んだとしても、そういう結論に至るように出来ています。
 祝福だけですと、傲慢になるかもしれません。
 罪の指摘だけですと、卑屈になるかもしれません。
 祝福も罪も、おおよそ分かりませんと、贖いもピンと来ないかもしれません。
 でも、それぞれに深く極める必要はないようです。
 聖書の世界では、人は羊に例えられています。
 羊は、羊飼いと一緒です。
 イエス・キリストは、「わたしは良い羊飼いである」(ヨハネ福音書10章11節)と自身を語っています。
 羊を連れていない羊飼いはいないのです。
 イエス様は、私たちを必要としているのです。
 羊を導く良い羊飼いは、羊の個々の事情を良く知っているので、うまい具合に導いてくれます。
  「神の国」は、導かれた先にあるのです。
 決して、一人で行くのではない、聖書が語るもう1つの大事なことです。
 
 横須賀地方も、梅雨明け、暑い夏が始まりました。
 各地の皆様、水分補給を欠かさないように。
 乗り切りましょう。
 
 
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