聖書 あれや

 ああ、物分かりの悪いガラテヤの人たち、だれがあなたがたを惑わしたのか。

                                 ガラテヤ31

 ガラテヤの人たちは、「物分かりが悪い」のです。

 何を理解することができないかといいますと、「キリストは、わたしたちのために呪いとなって、

 わたしたちを律法の呪いから贖い出してくださいました」(313節)ということについてです。

 神の祝福を得る、そのための方法として、よい行いをするという方法。

 しかし、実際やってみますと、すぐに気づくことは「律法の実行によっては、

 だれ一人として義とされない」(216節)ということです。

 

 神がご覧になった地は、「神の前に堕落し、不法に満ちていた」(創世記611節)のですが、

 ノアは「神に従う無垢な人であった」(69節)ので、箱舟を造ることを命じられました。

 さて、今の時代、やはり罪の重さを感じざるを得ません。正しさがないのです。

 小さな悪も、ほっておけ、というわけにはいかなくて、いつしか増殖して、結局引き受けなければならなくなります。

 ちょうど、いい加減に料理を作るようなもので、最後に食べなければならないのは、私自身なのです。

 その理屈は、冷静に考えればわかることです。

 わからないことの一つは、イエス・キリストが、私たちの罪の結果を引き受けるということです。

 それを自分で考えたり、人に言われたら、「それはおかしい」ということになりますが、

 そのことを聖書が語っているのです。

 私たちは、恵みの外にいるのではなく、呪いの外にいる、聖書が語るのは、そのことです。

 

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