聖書 あれこれ

             キリスト者
使徒言行録11章26節に「このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである」
とあり、「キリスト者」とは、自分たちが呼び合ったのではなく、
キリスト者の生活や姿を見て呼ばれるようになったことが分かります。
キリスト者とは、キリスト・イエスにつながる者のことです。
今、教会の前に桜の木があり、花が咲き誇っていますが、
花は枝と幹につながっているから咲くことができます。
命の供給をうけているのです。キリスト者は、キリストの命を受けている、
そのように自身もまた他者もそのように見ているのです。
また、キリスト者自身は、「選ばれた者」の意識を持つことができます。
スポーツですと、日本代表の選手は、選ばれた選手です。
しかし、この日本代表に選ばれているという場合、自身の能力が衰えてきますと、
選手交代を余儀なくされます。
しかし、キリスト者の「選ばれた者」は、申命記7章7節に
「主が心引かれてあなたたちを選ばれたのは、
あなたたちが他のどの民よりも数が多かったからではない。
あなたたちは他のどの民よりも貧弱であった」とあるように、選びの基準は、
能力によらず、主なる神様の憐れみにあります。
ですから、能力が落ちたからと言って、選びが無効になることはありません。
ヨハネ福音書3章16節に「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。
独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」とあります。

 

 
 
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