聖書 あれこれ

 
 

 教会全体が一緒に集まり、皆が異言を語っているところへ、

 教会に来て間もない人か信者でない人が入って来たら、

  あなたがたのことを気が変だとは言わないでしょうか。                                     

                     1コリント14章23節

     教会に初めて来た人を配慮するようにとの聖書の指示がある個所です。

 異言を説明するのは難しいです。

 感動の極み、といいましょうか。極みは、時として、他者を排除する傾向があります。

 皆が勝手に「感動の極み」状態ですと、確かに変に思うかもしれません。

 教会には、内側では当たり前の言葉が、初めての方にとっては分かりにくい「異言化」した言葉がたくさんあります。

 「啓示を受けた」を「刑事が来た…」、「職務質問、容疑者扱い?」。

 笑い話ですけれども。

 「教会を造り上げる」(145節)ことの大切さが強調されています。

 そのためには、横を見たり、後ろを見たりと、気を配ることが大切です。

 皆で互いにということです。

 教会はノアの方舟にたとえられます。決して一人乗りのカヌーではないのです。

  143-4節に「預言する者は、人に向かって語っているので、人を造り上げ、励まし、慰めます。

 異言を語る者が自分を造り上げるのに対して、預言する 者は教会を造り上げます」とあります。

 預言とは何か。難しいことではないのです。

 隣人へ向かう愛の言葉です。それが多くの人の口から語られる時、教会は豊かさを味わう場所、命の家となるのです。

 

 

  

  

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