聖書 あれこれ

 ところが、神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、力ある者に恥をかかせるため、
 世の無力な者を選ばれました。 1コリント1章27節
 
 知恵あるものが多いのです。
 言葉も論理も表現も力も気力も、よくできる人がいます。
 さしあたって、そういう能力が見当たりませんと、自分は何をしたらいいのだろうと考えます。
 1コリント10章31節に「だから、あなたがたは食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても、
すべて神の栄光を現すためにしなさい」とあります。
 イエス様は、とりあえず、私たちを引っ張り出そうとします。
 新約聖書の各書簡の最初と最後の挨拶の部分にたくさんの人の名が登場する場合があります。
 ほとんど、どこの誰とも今となってはわかりません。
 それでも、名が残るのですから、何かしらの印象があったのでしょう。
 能力でしょうか。知恵でしょうか。それとも、標記の聖書の言葉のような群れでしょうか。
 デマスと言う人は、コロサイ書4章14節では、大事な一人というような印象ですが、
テモテ書4章10節では「デマスはこの世を愛し、わたしを見捨てて」とありますから、何処かへ行ってしまったようです。
 何があったのでしょう。
 この世は、その人の知恵や知識を評価し、欲しています。
 イエス様は、あなたを選ぶ、そのように語っています。
 微妙な違いですが、大きいのではないでしょうか。
 1コリント138節に「知識は廃れる」とあります。

 言葉も論理も表現も力も気力も、時間とともに廃れていきます。

 しかし、イエス様の「選び」は、すべてのものが廃れ去っていた後に、

より鮮明に刻まれているのをみるだろう、そのように語っているのです。
 

 

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