聖書 あれこれ

  鏡

 わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。

 わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。

                                               コリントの信徒への手紙一13章12節

 昔の鏡。

 今のようにはっきりきれいに映らないのです。

 おぼろにしか、見えないのです。

  それになぞらえて、今は神をはっきりと見ることが出来ないけれど、やがてははっきりと見ることが出来る、というのです。

 それまで待ちましょう、ということです。

 鏡。最近のははっきりと、離れて遠くに立っても歪みません。

 だから、はっきりと自分が見えてしまいます。

 おぼろに自分を見るということがないのです。

 そういえば、今はGPSで自分の位置ははっきり分かるし・・・

 いろんなテストで成績の順位から性格の良し悪しというか・・・・

 おぼろにしときたいものまで向き合わなくてはなりません。

 嫌な世の中です。

 しかし、はっきり見えるものだけが自分ではありません。

 「 こうして、時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、

 頭であるキリストのもとに一つにまとめられます」(新約・エフェソの信徒への手紙1章10節)。

 人が立っている場所、よい場所、悪い場所様々でしょう。

 でも、そこに立ち尽くすのではなくて、完成への途上であるというのが、聖書が教えるところです。

 成績の順位であろうと、性格であろうと、はっきりとそれが分かったとしても、

 それでも、その先の完成に至る道があるということです。

 そういうのを、おぼろげに見通せるはずなんだけど。

 目を凝らせば。

 この前、ある暗めの展示室で向こうから同じ服を来た人とぶつかりそうになって・・・

 右によけても左によけても・・・嫌な奴・・・と思ったら私、鏡でした。

 前は、右によけて、1回で気づいたのに・・・右に左に、ショックだなあ。

  そういう鏡の演出、止めて欲しいなあ。 

    

    DSCN1553    鏡1
  戦艦「さかみ」ではない、「みかさ」です。
  8月、「三笠」の登場する映画を見た方もいることでしょう。日本海海戦、東郷平八郎です。
  
  横須賀は基地の町です。
  今、米軍が基地をおいているところは、その昔、海軍の基地でした。
  これが撤退しますと、どうなるでしょう。
  この広大な跡地、どうしましょう。
  すぐに出るのは、カジノ誘致ではないかと思います。
  フェンスはあるし、ゲートも港湾施設も使えるから、船で直接来ることも出来るし・・・
  不謹慎な話です。
  失礼いたしました。
  でも、それだけ依存しているというのも事実なのです。
  「みかさ」の近くに猿島、軍港めぐりの船の乗り場があります。
    「みかさ」があるのが三笠公園、そこに隣接するのが横須賀学院です。
  横須賀学院は、キリスト教主義の学校です。
  キリスト教主義の学校では、聖書の授業があります。
  科目の呼び名としては、聖書科、宗教科です。
  一応、文科省的には、宗教科です。
  私も、持っていますから、宗教科を教えることが出来ます。
  でも、当たり前ですが、仏教も神道も知りません。
  キリスト教の聖書理解にたって教えることが出来るだけです。
  教師の募集は、他の教科も含めて、キリスト教学校教育同盟のHPから探すことが出来ます。
  09年度聖書科の教師を募集しているのは、現時点で、清教学園中高、同志社国際中高、横須賀学院中高です。
    えっ!
  私、横須賀学院で非常勤で聖書を受け持っていますが、聞いてないなあ。
  私学の先生って、基本的にはほとんど途中で転勤とか他校への移動がないので、聖書の先生だけが、どこのキリスト教主義の学校も、頻繁に動くのです。
  
  
 
  
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